第2章:違和感から急展開!〜母の加速する変化に追いつけないけど向き合うしかない現実〜

ある日突然父からの電話、『母さんが倒れて救急車に運ばれた』と。

検査では特に異常はなく、その日は帰宅。

ひとまず安心したのも束の間。

2ヶ月もしないうちに母は再び転倒し、入院となりました。

転倒・入院が与える変化

検査では脳動脈瘤が見つかりましたが、今回の転倒との因果関係ははっきりせず、経過観察入院となりました。

病気そのものも心配でしたが、入院によって母の心と体が急速に弱っていくことが不安でした。

入院=安心

母は40代から糖尿病を患い、1日4回のインスリン自己注射を行いながら、生活を自分の手で支えてきました。

それなのに、病院ではベッドで寝かされたまま。

「安静が必要」と言われたわけではないのに、実際にはほとんど離床が進んでいない。

看護師として私は知っています。

入院したら何で歩けなくなるの?

それは動かせないのではなく、動かさない——人手不足、つまりマンパワー不足の現実です。

本来ならリハビリや声かけで維持できるはずの機能が、時間とともに失われていくことも。入院前は歩けていたのに今ではほぼ寝たきり。

北海道にいる私はすぐに会いに行けず、父も高齢で、しかもコロナの影響で面会は週に1回に制限されていました。

そのたびに、父のスマートフォン越しに母の様子を見せてもらいました。

最初は入院前のように会話できていたのに、次第に言葉が減り、視線が合わなくなり、車椅子への移乗も一人ではできなくなっていきました。

——これはもう、“様子を見る”段階ではない。

このまま病院に任せていたら、母の「その人らしさ」が失われてしまう。

そう確信した私は、仕事を調整しなんとか休みをもらい福岡に帰省し医師に交渉しました。

『退院させてください!』

「病状は安定しているのなら家に連れて帰ります。介護も看護も、全部私がやります」

何度も交渉したわけではありません。

ただ、母の“今”を守るために、私は迷わず動きました。

少しのきっかけで、人はまた立ち上がれる

病院では、母は“介助される人”として扱われていました。

車椅子での移動、インスリン注射もすべて看護師任せ。

でも、私はわかっていました。

母には、もっとできる力がある。

ただ、“動かされない日々”が、その力を眠らせていただけなんだと。

自宅への退院で,日々の力が動き出す

退院後、私の声かけに応じて、母はすぐに反応を見せてくれました。

「打てるよ」

そう言って、インスリン自己注射を自らの手で始めたとき、私は思わず胸が熱くなりました。

病院では失われかけていた“自分らしさ”が、自宅の生活に戻ったことで、少しずつ蘇っていきました。

階段の昇り降りも、最初は支えが必要でしたが、日を追うごとにしっかりと足を運ぶように。

そして何より印象的だったのが、父と母が二人三脚で営んでいたいちご農園でのこと。

あまおう いちごのパック詰めが母の仕事

出荷前のパック詰めは、いつも母が担当していた仕事。

「ちょっと詰めてみる?」とパックを渡すといつもの椅子に座って

いちごを手に取り、ひとつずつ丁寧にパックに並べていく姿――

私は、涙が出そうになりました。

母は、自分の場所に帰ってきた。

ただ生きるだけではなく、「役割のある毎日」を、自分の手で取り戻したのです。

一筋の光の先に、再び深い闇が待っていた

「また少しずつ、元の生活に戻れるかもしれない。」

そう思い、北海道への航空券を購入した矢先のことでした。

夜中、母が再び転倒

後頭部を打ち、救急搬送されました。

診断は「後頚部打撲」。

骨折こそなかったものの、両腕に力が入らず、動かせない状態に。

手も動かせないことで、再び入院となりベッドの上の生活が始まりました。

病院で行われた検査で――

以前から経過観察していた脳動脈瘤が、少し大きくなっていることがわかりました。

医師からは「この機会に手術を」と勧められ、家族で話し合った末、手術を決断。

入院に加え、脳動脈クリッピング術のダブルパンチ

脳動脈瘤クリッピング術を受けることになりました。

手術は無事に終わりました。

でも、母は更なる手術という侵襲で心身ともに落とされてしまいました。

父とのオンライン電話では以前の入院よりも酷い状態でした。目を開けていても、こちらの声がどれだけ届いているのか分からないほど。やっとの返答も見当識障害、どこにいるかもわからない、自分が手術を受けたこともわからない状態でした。寝返りもできず、背中に体位変換の枕が入れられていました。

1ヶ月前に見せてくれていた、自分の手でインスリンの注射を打ち、いちごを詰める姿はどこへ――。

希望が見えた後だったからこそ、その落差が心に深く刺さりました。

それでも私は、諦めたくありませんでした。

もう一度、母の力を信じたい”

その想いが、次の行動へと私を駆り立てていくのです。

北海道に戻っていた私は、あの時の決断と葛藤していました。

私があの時退院させなければ、転倒は防げたのではないか――

“良かれと思ってしたこと”が、母を再び寝たきりにさせてしまったのではないか。

正解が見えない中で、心は何度も揺れ動きました。

けれど、病院で静かに力を失っていく母を見て、

「このままではいけない」と思ったあの瞬間の私の判断も、

嘘ではなかったはずだ。

そしてまた、私は決断しました。

再度、母を病院から退院させる――

今度は、もっと慎重に、もっと丁寧に、支えながら。

次章

第3章:介護申請をしてもできないってどういうこと?!〜退院してもすぐに始められない現実〜をお送りします。

お知らせ:2026年4月スタート予定の自費介護サービス『お出かけサポート 春うらら』のご紹介

北海道(札幌西区〜小樽)を中心に、ご高齢の方や介護が必要な方の「外出したい」「誰かと話したい」という気持ちを大切にした、自費介護サービス『お出かけサポート 春うらら』を2026年4月よりスタート予定です。

私自身、母の介護を通して「外出できないことの不安」や「気持ちの孤立」を痛感しました。だからこそ、この『お出かけサポート 春うらら』を立ち上げようと決意しました。


病院への付き添いや買い物同行、お話し相手といった基本的なサポートから始めさせていただく予定です。

ご本人やご家族の負担軽減と、笑顔あふれる毎日をサポートいたします。

北海道で自費介護サービスをお探しの方は、お気軽にお問い合わせください。

【対応予定サービス例】

•病院への付き添い送迎

•買い物同行

•見守り、お話し相手など

【対応エリア】

札幌西区、手稲区、小樽市

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